※注意:このカテゴリー(本音)にしているものは、私の本音(本音というとちょっと硬いですが。)であり、世の中や人間全般に対する私個人の考えを書いているものです。自分の考えを書いているだけであってそれによって誰かに何かを伝えたいとかではありません。
多少言葉が荒かったり、過去に書いていることと矛盾していたりなどなどあるかもしれません。くさい言葉やセリフもあるかもしれませんが無視してください。また、何かの言葉が誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれないので、そのようなことを避けたい方は読むことをお勧めしません。ご注意ください。
今までこういうのやりたかったんですが、何か色々と心配して書いてきませんでした。でも、自分の偏屈な考えとか記録しておくと面白いかなと思い、本音を記録していくことにしました。いつまで続くかわからないけど。そして、ほとんどが暗い系の話になると思いますが、お許しを笑。
ということで、第一回、本音記事です。
何を書くかなー、とシャワーを浴びながら考えていましたが、ふとタイトルのことが頭に浮かんだのでそれについてだらだら書こうと思います。20歳過ぎたくらいからたまに考えていたことです。
なんに対しての平等、不平等だよってなるかもしれませんが、ここでは、特に人の感情(心の幸せ具合)やそれによる人生全体の幸せ具合に対するものとしました。不平等というのは自分がやったことは0なのに(何もしていないのに)、なぜか不当なマイナスなことが起こった、くらいに考えてください。だめだ。うまく言語化ができない。。。
あ、一点。努力をしなかった(何もしていない)から、プラスを得ることができなかった→不当なマイナスなことが起こったみたいなことは対象外です。人間の努力とかそういう範疇に当たらないことを前提に書いています。わかりやすい例だと、自然災害だったり、機械や動物や人間が起こした事件であったりが対象かな。
ところで、皆さんは世の中は平等だと思いますか?不平等だと思いますか?
はい。不平等だと思いますよね。
では、心の底から「なんで世の中はこんなにも不平等なんだ。」と一睡もできなかった夜はありますか?
大半の人はそこまでの経験はないのではないかと思います。(そんなことなかったらすみません。言い過ぎました。)
(人それぞれメンタルの強さに違いがあることは理解した上で、)そんな経験がない人は本当の不平等というのを理解できていないことがほとんどだろうと僕は思います。というよりかは、理解するのが不可能という方が正しいかもしれません。「世の中は不平等だ」と言うのは、世の中で起こっている不平等なことを聞いて一時的にそう思ったことがあるからで、またそう言った方が世間的にも正しいってなるからです。不平等な経験というのはその人の心の中に一生残るということを本当に理解できる人はほとんどいないと思います。こんなことを言っている僕もまだまだ理解が足りていないと思います。
高校生の頃、世の中は平等か不平等かみたいな話をある一人のクラスメイトとしたことがあります。
当時の僕はこう答えました。
僕「人生というのは±0になるようになっていると思う。」
これに対して、クラスメイトはこう言いました。
クラスメイト「じゃ、生まれてすぐ病気で亡くなる赤ちゃんはどうなの?僕はそうは思わない。」
その後の会話は全く覚えていませんが、結構、衝撃だったというか、考えればわかるんですが、すごくその通りだな、と思ったことを今でも忘れません。
その後の僕は、「そのような方もいるのはかわいそうではあるのだけど、運が悪いのだろう。言語化できる感情を持った人間の人生は、ってことになるのかな?でも病気とかは年齢関係ないよね。」くらいまでしか考えていなかったと思います。運って言っている時点で、言葉の意味上、結果は平等にはならないことは明らかなのですが、当時はそれ以上考えることはなかったと思います。ただ、その時から「人生というのは±0になるようになっている」とは思わなくなりました。
時は流れ、僕はもう30歳です。
まだ若い部類に入るとは思いますが、それなりにいろんな経験をしてきた方だとは思います。今では、世の中は不平等であり、人生が±0になるかどうかなんてわからない、ということは少しは理解できているつもりです。上に書いたことになぞるなら、世の中の不平等さを経験して寝れなかった日もある、ということですね。
まぁ、だからといって個人的に何かが言いたいわけではありません。(というか僕はそんなことを人に説得できるような人間ではありません。僕がこう思うのは少しHSPっぽいところがあるからだと思います。知らんけど。)
嘆いても意味ないよとか、嘆く暇があったら何か努力をするべきだとか全く思いません。むしろ、不平等なことに対して怒りを感じたり、心をすごく痛めたりすることが普通だと思います。
「どうせ誰も理解してはくれないだろう。」と思うかもしれませんが、それはその通りです。世の中にある全ての辛さ、悲しさなど、負の感情(正の感情もですが。)は事の大きさに関係なく、それを経験した人にしか絶対わからないと思います。これは絶対だと思います。(...正の感情ってなんだ?そんな言葉あるのかな。つまり、気持ちが良くなる感情に対しても同じことが当てはまる、と言いたい。)
似たような経験をしていると近い推察はできると思いますが、全く同じ感情なんてわかるわけがありません。人の個性、考え方、経験したことなどが完全に一致することはないからです。DNAと同じ感じですね。
例えば、僕は現金80万円ほどを空き巣に盗まれたことがあります。空き巣被害にあった経験をした人は世の中にそれなりにいると思いますが、あの時の僕の感情と全く同じ感情だった人はこの世に一人もいないはずです。そして、僕がどんなに説明をしてもあの感情と全く同じ感情を人に経験させるのは不可能なはずです。
こういった不平等な経験は仲の良い家族の誰かであればそれなりに近いところまで理解するかもしれませんが、友達とか他人はほぼ無理だと思います。心理カウンセラーでも無理でしょうね。もちろん、一緒に心を痛めてはくれると思いますが、100%理解することはできないはずですし、さらにその人がそれを一生を抱えて生きていくなんてことはもっとないはずだからです。(僕の空き巣被害に関しては大丈夫です。犯人はいまだに見つかっていませんが、犯人に部屋で鉢合わせしてボコボコに殴られた可能性もあると考えるとまだマシだと思っているからです。)
だから、僕は本当の意味の同情なんてのは存在しないと思うわけです。まぁそれはどうでもいいのだけど。
世の中で聞く不平等というのはその瞬間だけのことを話していることが多いんですが、そこだけで終わることって少なくて、その不平等が続くんですよね。悪い場合は一生。だから理解するのは難しいと思うんです。
話の方向性が一気に変わりますが、そのような不平等を経験した人に対して。
最近はSNSの普及がすごくてたまにニュースにもでますが、世の中は不平等である、って声を出せる人はものすごく強い人だと思っていて、私は尊敬します。
ここで言っているのは僕みたいに、「世の中は不平等です」と「不平等」という言葉を使って話をしていることではなくて、不平等であったその経験を全て曝け出して、自分の周りや、時には世の中にそれを伝えようとしている人のことです。
これは並大抵のことではないと思うんです。多くの人はそんなことできません。だって、そんなことしたら周りの頭悪い人から誹謗中傷的なもの受ける可能性があるでしょ?それに、人は赤の他人の気持ちなんて100%は理解しないんです。できないんですね。経験しなかった人がどんなことを考えているかなんて全くわからない。当事者の感情・情報は周り、世の中にざっくりでも伝わるかもしれないけど、周り、世の中の人の本心はこちらには一切伝わらない。友達ですらも。めっちゃ勇気いりますよね。言い損になることもあるかもしれない。「過去のことをネチネチ言って、引きずって。。。」「あんなことあったなら少しは気を使わないとな。」ってのが積み重なると友達と疎遠になってしまうかもしれない。
さらに悲しいことに、人によっては「多少なり、あなたにも非があったかもしれない。」「少しは対策ができたのではないか。」「自分だったらこうしていた。」とかいうやつもいるんです。大抵の人はそんなこと言わないんですけど、少数の頭の悪い人の発言とかは気にしたくなくてもずっと心に残る場合があると思います。
それに、そもそも不平等な経験なんてすぐにでも忘れたいはずです。起こったことは消すことができないので、負の感情を外に出すことはその分それを思い出すことになります。多くの人はできないのではないでしょうか?なので、自分と似たような不平等な経験を将来他の誰かがしなくていいように、などと行動できる人は相当強い人だと思います。
最初に言ったように、不平等というのは、自然災害だったり、機械や動物や人間が起こしたトラブル・事件であったり、種類は様々でしょう。不平等な経験をした人のその辛さはその人しかわかりません。
「なんで自分が。」ってなるでしょう。
悲しいことにその不平等の経験の後もその人の思う通りには人生は動きません。その後にプラスのことが起こるという保証も一切ないんです。度合いにも依りますが一生その不平等な経験と向き合わないといけない人もいるかもしれません。「他の人だったらよかったのに。」とか思う自分を嫌いになるかもしれません。
こういうのを全て合わせると、タイトルに書いた、人間は平等ではなく不平等であるというのを本当に理解するのは難しい、ということの意味がなんとなく伝わるかも?と、、、そうであるとちょっと嬉しいです笑。
ここでいう不平等を経験した人って、本当に辛いことに、それでもトータルは前向いていくしかないんですね。トータルと言ったのは、たまには過去のことを思い返して苦しんでもいいと思うってことです。じゃないとやっていけないと思うんですよね。起こったことは消せないんだけど、でも、苦しみ続けるだけではダメなんですね。人生の最後に向かうにつれて、その不平等な経験を思い出す機会・時間が減っていかなければならない。1年のうちに3回思い出していたら、数年後には1年で1, 2回思い出すとか、そんな感じで前に進むしかないのかな、と考えたりします。だってその人に少しでもプラスのことが起こるチャンスを作るためにはそうするしかないからです。その減らし方には正解はないです。自分で見つけるしかないと思います。何かに没頭し続けることで忘れてもいいし、逆に何もしないことでストレスを減らして忘れていってもいいし、人に言いたければ言えばいいし、言いたくなければ言わなくていい、どんなやり方でも正解だと思います。(自殺だけは正解とは言いたくないですけど。)
もちろん、減らし方が死ぬまで見つからないかもしれないです。いつか見つかるなんてことは言えないですよね。好きなことだけをやっていたらいいって言いたくはなるけど世の中そんな甘くないですからね。金、つまり労働は必要でしょうし。
そろそろまとめないといけないのだけれど、どうまとめようか。笑
ちょっと過度に書き過ぎたところもあるかもですが、程度を除けば不平等なんて世の中には腐るほどあるんです。その程度は、起こったことでは測れなくて、当事者の感情・心で決まるものなんです。だから、他人が理解するのは難しい。
じゃどうやったら不平等を経験した人の心を少しでも楽にできるのか?
雑な結論かもしれませんが、自分が「この人いいな!」って思った相手には何か、なんでもいいんでプラスを与えてあげればいいのではないのかな?と思いました。別にその人の不平等だった経験を知る必要はないんです。そんな経験があるかどうかも知らなくていい。そんなことを知らなくてもプラスを与えてあげれば、不平等な経験をした人のマイナスな感情が少しは減るかもしれません。「人生は平等ではないけど、もう少し頑張ってみようかな。」とその人が思えば世の中の不平等が少しは減らせるかもしれません。(だからなんだという話だし、別に僕にプラスをくれ、と言っているわけではありません。まぁそりゃくれるなら欲しいけどw)
初回から結構重い話になってしまった気がするwなんか意味があるわけではないんですけど、お前に何があったんだよってなりますねw
最後に、世の中は平等か不平等かみたいな話をしたクラスメイトとは高校以来連絡も取っていませんが、上に書いた話は数年に一回くらい思い出すことがあります。彼とは良い友達になれるんだろうな、とその度に思います。彼といつか会えるといいですが。松尾くん。いつかここに辿り着いた時は連絡ください。(高校の友達辿ればなんとかなるんでしょうが、あの時まだLINEなかったからなー。LINEの、友達かも?にはいなかったので、時が来るまで楽しみにしてます。)