ニュージーランド マスターズ スイミング全国大会で優勝しました!~優勝するまでの道のり~
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今月、ニュージーランドでのマスターズ スイミング全国大会に参加し、参加種目4つに対して1種目が全体優勝、残りが全体準優勝という成績を収めることができました!自分で勝手に相当追い込んでやってきましたが本当にやりがいのある&辛い期間になりました。

私が最後に競泳の試合に出たのは18年前で、それから平均をとっても年に1, 2回くらいしか泳いでいなかった人生でのこの結果は自分なりにも満足のいく結果になりました。全国大会に参加することを決断してからは「大会を楽しもう!」とは1ミリも考えておらず、「なにがなんでも大会で結果を出す。」ということだけを考えて練習してきたのが良い結果につながったと思います。心境等をここに記録しておくことにしました。

前回までの話はこちら。

ニュージーランド マスターズ スイミング全国大会の結果

大会結果以外の話は当日までの道のりの話になる(つまり、だらだらと書き連ねられた自己記録用)ので先に結果だけ書いておきます。

大会結果HPからのスクショ切り取り

上の写真は私個人の実際の競技結果になります。HeatとTotalに書いてある数字が全体の結果、順位です。

参加種目総合順位(年代別順位全体1位との差全体2位との差
200メートル 平泳ぎ2位(2位)+ 9.77秒-
100メートル バタフライ1位(1位)-− 0.48秒
200メートル 個人メドレー2位(1位)+ 0.64秒-
100メートル 平泳ぎ2位(2位)+ 7.23秒-

※競泳のマスターズ大会は正式には5歳区切りで記録されるため(18~24歳、100歳以上区分を除く)、公式記録的には年代別での結果が正式な結果になります。

平泳ぎは、優勝者がマスターズのニュージーランド記録を大幅に更新したぶっちぎりの速さで、全く相手にならなかったです。一緒に泳げて光栄でした!

100メートル バタフライと200メートル 個人メドレーの試合は激闘でした。バタフライは前半1位で折り返して後半追いつかれないように、という逃げ切りでのぎりぎり勝利になりました。わずか0.48秒差ということで、あと一搔きあったら負けていたと思います。個人メドレーでは最後の50メートルまでは結構余裕をもった1位ペースだったのですが、最後の50メートルで捲られ、タッチの差で負けるという結果になってしまいました。残念...

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全国大会までの道のり

去年の11月末日、健康のために家の近くにあったジム・プールに通うことを目的として3ヶ月間の期間限定で契約をしたところから始まります。当時はもちろんですが大会のこと以前に、週に何回泳ぎにくるかも未定の状態でした。

12月〜1月|まずは泳ぎに慣れる

せっかくお金を払ったので運動するしかないということで、記憶が正しければ、この期間は週に2~4回程度プールに行ってました。1回あたり20〜30分程度くらい泳いでいたと思います。この時は大会のことなどそもそも頭の中に一切なく、「うわー、久しぶりに泳げるー」くらいに楽しんでおり、泳いで水慣れするということだけを目標にゆっくりと泳いでいました。

大学の途中以降、スポーツ自体も全く継続してなかったので、体の鈍りぐらいが半端なかったです。この2ヶ月で合計4,5回くらいは足を攣りました。プールの中で。なので全力で泳ぐ、ということが初期はできなかったんです。水泳をずっとやっている人は言うんですが、スピードを問わないとすると、彼らはほぼ半永久的に泳げる、と回答すると思います。私も子供の時はそうだったのですが、この当時の初期は数百メートル頑張って泳いだらもう腕を上げて泳ぐことができなくなるくらいの状態でした。あの時の悲しみは今でも思い出せます。

2月〜3月|速く泳ぐ練習をする、試合の情報をインプットしてイメージする

だいぶ泳ぐこと自体に慣れてきたので、好奇心から「今はどのくらい速く泳げるのかな?」ということで時間に目を向けて泳ぎ始めました。この時も週に2~4回程度行ってて、慣れたことや仕事に少し余裕があったこともあって長い時で1時間くらい(正直覚えてないけど)の練習でしたが、思ったより早い期間で自分が泳げるようになってきたことがわかってきました。感覚が戻る感じ。

そんなこんなで続けてましたが、ジム・プールの会員が2月末で終わりで、「会員をそのまま継続するかなー、どうしよう...」とか迷っていた時にふと水泳大会のことを調べてみました。するとどうもマスターズ大会というのがあるっぽいのがわかりました。ニュージーランド人ではないし、永住権も持っていないので出れるかは全く不明だったのですが、もし可能性があるならってことでジム・プールの会員期間を更新し、それまでと同じ練習をしながらマスターズ大会の運営組織に直接連絡をとって参加資格を確認していました。

3月17日、マスターズ大会に私も出場が可能だという返事をいただけたので覚悟を決めました。そこから2週間ほどは本格的に試合に向けたプランを立て始めます。まず、ネットに公開されている過去のオークランド大会の結果と、2年分の全国大会の結果をひたすらに分析しました。自分が得意とする種目はほぼ決まっていたので、どのくらいの記録を出せば3位入賞ができるか、そして自分がその圏内に行ける可能性があるのか、何がどうなればいけそうか、をひたすら計算、計画、そしてイメージしました。これを話し出すと長くなるのでここではカットしますが、当時の感覚としては、全集中水の呼吸で全コミットすれば、運込みで、全国大会で3位入賞できる可能性が少しある、くらいでした。ここでいう運というのは誰がエントリーするか?です。マイケル・フェルプス選手(今の時代だと、レオン・マルシャン選手でしょうか?)のような何を泳いでも優勝or上位、みたいな人はどの世界にも存在するのでしょうが、そのような方がもし同じ種目にエントリーしてきたらもう勝ち目がないです。これを運要素として考えました。

4月|大会に向けたガチ練をする

オークランド大会と全国大会に出場できることが確定したので、3月の最後の週くらいからは完全に大会にフォーカスした練習に切り替えました。

4月は週4~5回の練習だったと思います。平均すると毎回1時間程度の練習でした。

日本から競技用の水着、ゴーグル、水泳キャップも取り寄せました。両大会の出場種目を決めて、ネットの記事やYouTubeで現在の最新を勉強しました。私が18年前にやっていた、しっていたこととは違う常識がたくさんありましたが、それを取り入れるには時間がなかったので泳ぎ方で意識できそうなところだけを取り入れました。常に過去の大会結果を分析、自分が狙う位置と自分のタイム差分をとにかく意識して練習することは忘れませんでした。

5月1週目|ニュージーランド オークランド大会への参加

全国大会への参加も決めていましたが、いきなりぶっつけ本番で全国大会に出るのはあまりに無謀すぎました。少なくとも本番までの準備、試合の感覚というのを経験しておかないと全国大会で最高のパフォーマンスを出すことはできません。そこで、全国大会の3週間前に開催されたオークランド大会に参加しました。

私の場合は、ちゃんとしたクラブチームなどに属しているわけでもなく、もちろんコーチもいないので、飛び込みの練習ができなかったことが一番不安要素でした。(この大会ではスタートは無事に全て成功しましたが、実はこのオークランド大会試合当日のウォームアップで飛び込みに失敗し、その後腰を2, 3日少し痛めました。試合や練習に影響がでなかったのでよかったですが。)

オークランド大会は自分にとってはあくまで練習の大会でしたが、全国大会で慌てなくてよいように全てをリハーサルとして取り組みました。試合当日に関しては分刻みの行動を全てGoogleカレンダーに書き起こして、それ通りに行動しました。この大会では情報収集が間に合いませんでしたが、この大会のおかげで全国大会ではレースの何分前に脈をどのくらいまで上げておくのかとか、いつエネルギー補給やカフェインの摂取をすればよいのか、などなどを調べる機会になりました。この辺の話もまぁ長くなるので一旦カット。

結果的にオークランド大会では3種目に参加して2種目は全体優勝、1種目は全体3位(年代別としては優勝)となりました。そして嬉しいことにオークランド大会では年代別の大会最優秀選手に選ばれました。

5月残り|大会のために全ての時間を注ぐ

オークランド大会を終えて、残りの期間で、全国でも多少戦えそうなところに持って行けそうな自信が出たので、残りの期間は中距離を泳ぎ切れる体力をつけること、疲れても泳ぎが崩れないようにすることを目標としました。もちろん、オークランド大会で撮影してもらったビデオを見て自分のレースを振り返り、YouTubeとかで出ているような良い泳ぎ方との差分の確認も怠りませんでした。(これが結果的に改善できたかは正直不明ですが笑。)

5月は1週間のテーパー期(試合時にパフォーマンスを最大に持っていくための練習の調整期間)を除き毎回2時間程度の練習をしました。5月はほぼ毎日の週6, 7で練習しました。そして、土日は当たり前ですが、仕事が忙しくない平日でも実際のレースに近い時間帯にプールに行って本番と同じくらいの時間で体を動かし、帰ってから仕事するという生活をしていました。1日の中でも朝、昼、夕、夜で体の動き方は変わります、多分ですが。それを意識してでした。

ここまで読んでくださった方にすらも需要があるか怪しいですが、私の場合、試合はエントリー時点から始まっていると思っているので、かなりの戦略を入れ込んでいました。競泳の場合、エントリー種目に対して、エントリータイムというのも一緒に提出します。自分はこれくらいのタイムで泳ぐよ、の目安です。これを元にコース等が決定されます。もちろん最後は運なのですが、自分が泳ぐコースが何レーンになりそうなのか(つまり、隣で泳ぐ人がどのくらいのタイムなのか?)とかはある程度過去の結果から推測ができます。また、自分より先に泳いでいる人、もしくは後ろに泳いでいる人が右にいるのか、左にいるのか?とか、いろいろな状況を想像した上でどのくらいのタイムで出した方が良さそうかを考えてエントリーをしました。まぁこれは気休めでしかないと思いますが笑。

エントリーは4月の後半に終わりましたが、あとはエントリー時に想像したシナリオも忘れないようにして、練習をするだけです。例えば、クロールの場合、呼吸は右か左ですが自分が呼吸する側に相手が見えるのと見えないのでは変わってきます。それを踏まえて、ある程度のパターンに対応できるように練習をしておく必要がありました。まぁ今回は相手が隣に見えていたのに最後タッチで負けたんですけどね笑。今回は意味なかったかもしれない笑。

ニュージーランド全国大会への参加

大会は金、土、日で開催されました。私を含め、ほとんどの人が土、日の試合になるのですが、私は金曜日、仕事を一旦抜けて大会会場に足を運びました。そして大会当日のウォームアップ時のみ開放されるレース用のプールを経験しておきました。(このプールは一般開放されていないようなのでここしかチャンスがなかった。)

私にとってこれはめちゃくちゃ重要でした。おそらく毎年ここで開催されているのだとおもいますが、他の選手は昔から競泳をやってきた人たちばかりで、まず間違いなくこのプールで泳いだ経験もあるでしょうし、建物施設の状態なども全て把握しているはずです。試合当日はできるだけ予測不可能なことが起こらないようにしたかったので会場の状態等を全てチェックしておきました。試合当日どこで着替えるか?、ロッカーはあるか?、試合中のウォームアップ、ダウン用のプールはあるのか?、プールの深さや水の温度はどうか?、”Take your mark”(スタート時の掛け声)から音が鳴るまでの間隔がどのくらいか?などは全て金曜日の時点で押さえておきました。

大会当日試合前のウォームアップでは自分がレースで泳ぐレーンで行いました。これで準備は全て整いました。あとはマシンのようにGoogleカレンダーのスケジュール通りに行動するだけです。これで結果が出なければもう言い訳のしようもなく、ただの実力不足というところまで持っていきました。

辛かったこと

トレーニング

実はオークランド大会後の最初の1週目は精神的にかなりやられそうでした。十何年もまともスポーツをやってこなかった人間がいきなりこれですからいうまでもないですが、体力的、精神的に結構きつかったです。両大会前のテーパー期は1週間前からにしましたが5月に大会が2回あり、1ヶ月で2回もパフォーマンスを最大に持っていかなければならなかったのが正直きつかったです。一旦オークランド大会が終わった安堵と大会の疲れと、3週間後にある全国大会への自己都合のプレッシャーとで「俺何やってんだろ、ここまで頑張らんでもいいよなぁ。」と思いました。が、いろいろ考えすぎて一周回ってきました。「まぁこれで結果でがなくても何も起こらないし、誰も悲しまないし、なんなら給料も変わらん。子供の時の挫折なんてもう受けることはない。」とかなんとか自分に言い聞かせて、次の週からはかなりプラス思考に持っていけました。(18年前に競泳を辞めたのは区切りや挫折からです。挫折というとかなり大袈裟ですが他に言葉がないかな?失敗ではないし、正直辞めれてほっとしていたので笑。)

全国大会終わった今週全く同じ練習をしにプールに行ったのですが、「これよく2ヶ月間やったな。」と思ったくらいです。こんなきつい練習してたんだ、と終わって気づきました。当時はそれを気にする暇もないくらいに真剣にやっていたようです。そりゃ腕も痛くなるわ、と。全ては名誉のためでした。

怪我

あとは練習のしすぎによって各大会試合当日まで常に腕の痛みに悩まされました。オークランド大会では右腕の肘、全国大会では左腕の肘、の神経?なのかな?が痛くて大会前日、当日は共に結構不安になったのを思い出します。よくある「試合が終わったら腕が千切れてもいいから、動けー」的な。まぁそこまで考えてなかったですが。これは結構賭けではありましたが練習は休みませんでした。1日1日の練習が勝負だった私にとって、休んだ分のビハインドの方がデメリットが大きいと考えたからです。あとは、「試合に出たらアドレナリンでなんとかなるだろ」と思っていたのはあります。そして、実際にすべての試合のレース時はアドレナリンのおかげか痛みは一切感じませんでした。人間ってすごい。

食事制限

大会にエントリーしてからですかね?脂っこいものやお菓子、そしてお酒をめちゃくちゃ減らしました。特に4月終わりから全国大会終わるまでは制限しまくりでした。唯一、オークランド大会の夜だけ祝ってもらえたのでそこだけピザを食べて、お酒を少し飲んだくらいです。トレーニングよりマシでしたが、好きなものを食べることができない、お酒が一切飲めないだったのは辛かったですね。

試合間近の食事についてもカーボローディングとかを調べて試合当日にパフォーマンスを最大限に持っていけるように行動しました。

心から喜べるわけ

最初に書いたとおり、私の目標は”結果を出す”ことでした。この全国大会は1人あたり最大エントリーが6種目まで(距離関係ない、リレー除く)でしたが、実は私の最初のエントリーは2種目で完了していました。4月の下旬にはエントリーを終えていましたが、その時はオークランド大会も終わってなかったので自分がどんな状態で出れるか想像もできず、1日1レースで確実に上位入賞を取りに行こうと計画していたのです。

ところが、試合の10日ほど前にマスターズの大会委員会の方(出場可否などの連絡やオークランド大会でいろいろお世話になった方)から「エントリーの締め切り終わってるけど、あなた2種目しかエントリーしてないじゃない。もっとエントリーしていいわよ。ねじ込むから。」という内容の連絡が来ました。

半日はすごく迷いました。まず、想定外のことで、かつ、他に出れそうな種目(全力で泳ぎ切れる種目)があるか微妙だったからです。そこで、昨年までの上位選手たちがどのくらいの種目数に出ているかをチェックしました。すると、上位の人たちは3~6種目は出ていることがわかりました。結果的に追加で2種目増やしました。私の場合は体力の問題があるので、確実に結果を出したいなら1日1レースが絶対良かったのですが、そこでふと思ったことがありました。「上位に入賞する選手は基本4〜6種目エントリーしてくるだろう。そこでたった2種目しか出場せずに、自分より2,3倍のレースに出て疲れた選手たちに勝ったとして、本当に心から喜べるかどうか。」ここで意地を張る理由も別になかったのですが、最低ラインには並ぼうということでトータル4種目の参加を決めたのです。(100メートル×2と200メートル×2だったので、さすがに5, 6種目目のエントリーは1個1個がおろそかになると思いやめました。)

私を快く迎え入れてくれて、かつゆるゆるな後出しエントリーを提案してくれたマスターズ大会委員会の方々には本当に感謝しかありません。

大会を終えて

ふとしたノリから18年ぶりに水泳を始めて約6ヶ月、全国大会を意識してからは約2,3ヶ月、本当に濃い期間でした。コーチもつけずに全部一人でやってきてニュージーランドのマスターズ スイミング全国大会において歴代優勝者として名前を残すことができたのは本当に嬉しいことです。そして、勝負事において1位と2位には大きな差があるということを大人になって再度身をもって経験できたのは良かった、といえるでしょうか笑。上にある結果の通り、タッチの差で勝てたもの、負けたものどちらも経験できましたが、勝てたのは本当に嬉しいですし、負けたものも少なからず悔しい気持ちや反省点がありました。でも、後悔は一切なかったです。それだけが良かったですね。

競泳という意味で捉えるとこの4ヶ月かな?よくやったと思います。周りから「今年でこれなら来年は余裕よ。」みたいに言われましたが、来年やりたいか?と聞かれるとかなり怪しいくらいの辛さだったので笑。

そして最後に、これは私がニュージーランドに来たからできたことだと思っています。なぜなら、私のこの実力は日本のマスターズ大会なら全く目にされない記録なんです。日本は全体人口、かつ競泳人口が比べ物にならないほどニュージーランドより多いです。ニュージーランドの人口はざっくり日本の1/25くらいなので、日本で100番くらいでもニュージーランドだと3位入賞が狙えちゃいます。なので、元々のスキルが多少あったとはいっても、私がめちゃくちゃ速いというよりかはそういう環境にいただけ、ということになります。逆にいうと、そういう環境に身を置けば自分が輝ける世界もある、ということです。オークランドの大会や全国大会でも何人かの方に声をかけてもらえました。海外に住んでいると場所によってはそういう面白い経験もできるもんだなーと思いました。逆もあるでしょうけど。

とりあえず、良い結果が出せてよかったです。これから何しようかまた考えます。

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