私たちが思う自身の英語とネイティブスピーカーが思う私たちの英語
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海外移住のために英語を再度勉強し始めて一年が過ぎました。

最近は、何を意識しているかというと発声や発音です。なぜこれらを特にやっているかというと、自分の考えを相手に伝えるときに、相手が自分の意見をすんなり頭に入れて考えることができるようになったらいいなと思ったからです。

もちろん、語彙や文法も必須ですが、それらは長期的に覚えていけばなんとかなると思っています。ただ、発声や発音となると間違った話し方をすればするほど矯正がしにくいと考えているため、まずはそれらの基礎を取得しようとしています。発声や発音を考え始めたきっかけなどはまた今度にします。

学習することは山ほどあります。英語のスキルアップはとにかく継続しか無いとして、今日はそれとは別に、自分の英語に対する弱点について話そうと思います。

具体的にそれは、私は英語を話すことに対して恥ずかしさを感じてしまうことです。完璧主義であることです。

今日はその完璧主義などの考え、性格について話そうと思います。

日本人は間違いを許さない?

私は日本人ですが、小さな時から間違ったことが許されない環境で生きてきたような気がします。誰のせいというわけでもなく、そういう世界で育ってきたというのが正しいかもしれません。

なぜかわからないですが、中学を卒業するまでは常にテストで全部100点を取ることを目指していたような記憶があります。もちろん全部100点なんて無理でしたけどね。

少なからず、今の日本社会にもこういう雰囲気はあると思います。正解・結果を出し続けなければならないというプレッシャーを常に感じている人は少なくないでしょう。今の多くの会社もそうだと思います。

私はオーストラリアに留学に行ったことがありますが、こと英語に関してはそうでした。特にスピーキングでは文法などが間違っていることをひどく恐れていました(まぁ今も感じていますが笑)。ベラベラ話すヨーロッパ人や南米人を見て「なんでこんな途切れずに話せるのか?」と劣等感を抱いていました。でも、実際、彼らの文法は私の文法と比べると明らかに劣っていました。日本人の文法は強いというのを身に染みて実感しました。

文法の強さがあるのにそこには目を向けずに、弱さばかりを見ていました。これもやはり全部100点を取ろうとする日本人的な慣習から来ていたのでしょう。

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人は人の英語を気にするのか?

オーストラリア留学では英語だけを勉強していたので、ある程度英語は使えるようになりました。そして、そのあとは世界のいろんな国に行きました。オーストラリア国内旅行を始め、ニュージーランド、英語圏以外の国だと南米にも行きました。それらの旅行中、人との会話では全て英語しか使いませんでした。多分人生で20カ国以上の方々と英語で話した経験があると思います。

このように基本的な会話力を身につけて世界中の人と話してきましたが、よく思い返してみると、誰一人として私の英語を馬鹿にする人はいませんでした。(私が気付いていなかっただけ、というパターンもあり得るがそれはそれで鈍感ということでよしとしましょう。)

これは偶然でしょうか。たまたま、環境が良かったからでしょうか。

今思うと違うと思います。もちろん、それが全くのゼロとは言えないかもしれませんが、世界のほとんどの人は私の英語を馬鹿にはしないと思います。

そして例えば、もし日本語を一生懸命話そうとしている、日本語が拙い外国人がいたとしても私はその人を馬鹿にすることはないでしょう。皆さんも彼らを馬鹿にするようなことはしないでしょう。それと同じようなことだと思います。

恥ずかしさを捨てる

私は人に教える立場ではないですが、恥ずかしさというのは成長の邪魔をしてしまうと思います。恥ずかしさがよく見えるのは気になる異性の前にいる時だけでしょう。

自分の根本にある性格や人間性を変えることはできないでしょうが、一生懸命話せば良いと感じました。いきなり堂々と話すことはそれなりに難しいですが、話すたびに少しずつでも自信がついていけばそれでOKだと思います。

そこで自分を無視したり、馬鹿にしたりするような人がいたらこっちから無視すれば良いというだけの話です。私の体験の統計上はそんな人はごくわずかなはずですのでそこを気にする必要はないと思います。

英語圏以外の人々が思うあなたの英語という観点で言うと、それを気にしているのは、多分、あなたとほんの少しのあなたより英語が話せない人だけです。だから気にしなくて良いと思います。

そうとは分かっていても、それでも気になるものは気になるし、稚拙さを感じるものは感じるのだと言うことはあると思います。私もそうだからです。

私は、その恥ずかしさをなくすためには努力をするしかないと考えています。なので努力を継続します。いつか自信が、恥ずかしいと思う気持ちを超える時が来るでしょう。

どんなことに対してでも学ぼうとする姿勢は素晴らしいということを忘れずにいきたいものですね。

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